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訃報で思いだしたこと。

藤田元司氏が亡くなったというニュースを見た。私の世代だと、現役時代は知らない。長島、王監督の後の巨人の監督をやった人、あとはNHKの野球解説、というイメージだ。監督としてのイメージは、手堅い野球の人、という感じで、オーソドックスなスタイルをとっていた。2番川相にバントさせてクリーンアップへ、というの形を好んだ印象がある。一方で投手の指導者としては球威はあるがコントロールの悪い投手をサイドに投げ方を変えさせて成功させた、という印象がある。その一人目は最初の監督時代をストッパーとして支えた角三男投手。長島監督時代は先発で使われていたもののコントロール難のためイマイチだったのがサイドに変え、リリーフに変わって大成功。当時は7回途中から、がストッパー、最近はクローザーという言葉の使われる役目の仕事という時代だった。二人目は斉藤雅樹投手。彼もサイドというかスリークォーターにしたのは藤田氏の指導だったと聞いたおぼえがある。全盛期には、毎回完封するんじゃないか、という投手になった。一方、技巧派のリリーフピッチャーの扱いが下手だった印象もある。鹿取投手は藤田監督時代には苦労している。1回目の長島監督の最後の頃にリリーフとして頭角を出し始めていた鹿取投手は、その後の藤田監督時代には中継ぎ、谷間の先発と試されるが上手く行かなかった。王監督時代になって、角投手の球威が落ちてストッパーのポジションが空くとそこで活躍しだす。しかし再度藤田監督になるとトレードに出され、西武に移るがそこでまた、鹿取投手は活躍している。1度目の監督時代はストッパーは角投手で決まっていたが2度目は苦労していた。球威のある速球のある、力で押せる投手をストッパーに置くのが好みらしく、槙原投手、木田投手など、そのタイプの選手を次々試したもののなかなか固定できずにいた印象があった。多分、コントロールミスがあっても球威があれば致命傷になりにくい、というところにこだわりがあったのだろう。後はNHKの野球中継で何度か見かけた。やはり、解説も、広岡氏や森氏など一癖ある論客とは違って、非常に正統派な印象だったかな。こんなところが、私の思い出すところでしょうか。ご冥福をお祈りします。

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Jubai 1-1